2007年6月19日火曜日

EXAMINATION CHALLENGE 《祖母も後押し》 (PART 2)

Story 9

EXAMINATION CHALLENGE  (PART 2)

Do faith and superstition influence preparation, study for school (university) tests ?--試験に備えて( 2)

      ——懸命な勉強も信仰と迷信的習慣に支えられながら——

《祖母も後押し》

祖母は私が地球上でいちばん早く神様からの祝福を受けられるグループに入れるように気づかって早起きさせました。夜明けとともに神様や先祖が祝福を与え始めると信じられています。祖母は毎朝、きまったように私を早く起し(私には早すぎました)、近所の誰よりも早く、正面玄関を抜けて庭に出て行きました。祖母は目に見えぬ神様と先祖に私の学業の成就と、家族が不幸にならないようお願いしたのでした。見えない世界に住む神様たちが退屈しないよう、スピーチの内容は違っていましたが、それにこめられたメッセージは毎回同じではっきり唱えられました。祖母は私のためだけでなく、私の友だちや全国の学生のためにもお祈りしました。もちろん孫の私がいちばん良い得点がとれるように祈ったことはいうまでもありません。神様や先祖は自分勝手な、また、他人に危害を及ぼすような祈願にはとりあってくれません。だから、人は他人に思いやりをもって接し、持っている才能を喜んで他の人のためにも使い、食事を喜んで伴にし、お祈りする際は他の人にもいいことがありますようにとお願いするのです。

この毎朝行われる早起きのお祈りのあと、私は再びベットにもぐり込み一時間ほど寝ました。私はこの毎朝の祈りに効きめがあるとは信じていませんが、敬愛する祖母の気持ちを傷つけたくなかったのです。祖母は、そのほか私に特別なローションを作ってくれました。それは精霊「ジョニー」が住んでいると信じられている森の奥深く、遠く離れた所から採ってきた土と珍しい粘土から作られた粉をピーナッツの油でこねたものです。新しい週が始まる毎週月曜日になると、祖母は私の顔にローションを塗ってくれました。そのローションは、私の知性を開き、脳の働きを更に新しく活発にさせ、記憶の中に大切にとどめられている知識を順序よくためておき、学業成就に必要な知識を新しくインプットできるように神様からのメッセージを受け取りやすくする働きがあると信じられていました。祖母は、読み書きができませんが、とても知恵があり、三十年や四十年前の出来事でもはっきりと思い出せる驚くべき記憶力をもっていたので有名でした。

国中のいたる所で祖父母や親戚が有名な全国規模のテストを受ける家族のために、地域によっていろいろ違っていますが、そこの伝統習慣にのっとって同じような祈りや、まじないごとをしていたと思います。これは私にとって時間の無駄であり、ミッション系の学校に通っていた私には「異教」の儀式はカソリックの教えとは相容れないものでした。けれども、祖母が、孫の私の全国規模のテストの成功のためにすごく役に立っているという思いを抱き続けて、幸せであってくれたほうが私には大切であったのです。私も懸命に勉強して神の意にかなうことが良い結果になるのは十分に承知していました。

祖母もカソリックを信仰していましたが、多くのアフリカのお年寄りと同様に土着の伝統宗教も信じていました。祖母には同時に二つの宗教の存在が可能だったのです。全能の神(エフィレ・ムングアキャイア:神の中の神)は広い心の持ち主で、意義のあるさまざまなものに形を変えては、人間の前にその姿をかいま見せてくれるものだというのが、祖母の口ぐせでした。

 

《受験と宗教》

神を敬い奉り、褒め称えるやり方が、どんな形であろうと、それが創造的であるならば、神はありのままを受け入れ、それに沿うよう、人間がいろいろなことができるよう人間を造り出しました。私たちは全て神の子です。この教えは私がミッション系の学校で習ったことですが、その時、カソリック教だけが神へつながっていると教えられました。おかげで、私もものの見方はその教えを強く受けていますが、今となってみれば、私は祖母が言われたことは正しかったなと思います。

平和と協調と幸せを願って、私たちが考え行動をとるならば、それはどんな形であろうと神へつながるのだということを。私は何をするにしても、自分の行動が平和と協調のためになっているのだろうかと問かけています。これが私の行動の基準になっています。

皆さんと同様、この平和と強調というゴールをなし遂げていくためには、私ができるベストは何なのか、という問いかけがいつも自分の中にあります。

一生懸命に勉強することのほかに、宗教の大切な教えが、生徒たちが受験勉強するうえで、大きな役割を果たします。キリスト教やイスラム教を信じる生徒たちは、一週間に何時間も教会やモスクや家でお祈りに使います。特にテスト期間中は敬虔に祈ります。

受験を控えている高校生は特に、五月の初めに行われるテストや五月から六月にかけて実施されるバカロレアのテストには敬虔にお祈りします。キリスト教信者の生徒たちはテストの数週間前に「ビジイル」と呼ばれる特別なお祈りをします。その晩は寝ずに起きていて全能の神を称え、歌い、お祈りして試験がうまくいきますよう、神の祝福がありますようお願いするのです。

私もカソリック信者として、たくさんの時間をお祈りに費やすべきなのですが、私と同級生の何人かは学業に忙しく、神様のために少ししか歌ったり、お祈りできない事情を神様は十分に承知してお許しくださるだろうと信じていました。

 

《必死の受験勉強》

私は学生のころ、生徒会の会長を務めていたので、生徒会活動や青年たちの集いを組織したり、スポーツ活動、そして政治的な運動に費やす時間のほうが、教科書を読んでいる時間より実際は多かったことを覚えています。学業よりもほかの活動に忙しかったので、テストの際は全て科目を網羅しきれないとおじけづいていました。そのときに「神は自らを助けたもう者だけを助けたまう」という言葉の重みを切実に身にしみたものでした。

今まで遊びほうけていて、十分に勉強していなかった者が、どうやってテストに受かるのでしょう?遅れを取り戻すために家で気を張りつめて集中して勉強することが必要でした。私は一日に三、四時間くらいしか睡眠をとらず、食事の間も本から目を離しませんでした。ランプの明かりで読書し、目を覚ますために足元に水を入れたバケツを置き、足を浸して懸命に勉強しました。その頃、私はコーヒーなど飲んだことはなかったし、薬局でカフェインの錠剤を買う余裕などなかったのです。意識を覚ましておくため、首には濡らしたタオルをあてました。それでも懸命に勉強したわりには効果ははかばかしくありませんでした。七千頁ほど読むものがあり、それを読んで十分理解して記憶しないといけませんでした。懸命に勉強しても、覚えるものがあまりに多過ぎると読んでも半分も覚えられず、頭の中がこんがらがってきました。アフリカ人は視力がよく、記憶力もいいのですが、この場合は、あまりにも詰め込むことが多く、全てをやりとげるには日数が足りませんでした。これは私だけでなく、ほかのたくさんの生徒も同様でした。やることがあまりに多過ぎて時間が足りないので、その解決策が見いだせないので私は絶望的になっていましたが、ひとつのアイディアが私を救ってくれました。

By チロンボ・ンゴイ Jr.

Do faith and superstition influence preparation, study for school (university) tests ?--試験に備えて

Story 8

 

EXAMINATION CHALLENGE   (PART 1)

Do faith and superstition influence preparation, study for school (university) tests ?--

試験に備えて

  ——懸命な勉強も信仰と迷信的習慣に支えられながら——

《いずこも同じ 試験にソワソワ》

六月はアフリカの子供たちにとって試験でソワソワする月です。今、アフリカでは何百人という高校生たちが大学で勉強できるようにと、その時将来がかかっている全国レベルでのテストに向けて勉強に身をいれています。この時期は生徒だけではなく、受験生をもつ家族にとっても落ち着かない日が過ぎていきます。親は子どもが勉強に精をだしてくれたら将来の生活が楽になるだろうと強く期待しています。大学を卒業することは、貧困と悲惨さから足を洗える近道なのです。けれども、こんな機会はほんのひとにぎりの人にしかやってきません。親たちは親族に援助を頼んだりして、子どもの教育に、できるかぎりの金を注ぎ込みます。家庭が貧しい場合は、特にその長男に大きな期待がかかります。大学を卒業すると、家族ばかりか村人たちも恩恵が受けられると思われているだけに、大学入試の失敗は本人だけでなくそうした人々を裏切ることになります。

アフリカの近代都市では大学を卒業した人たちは同郷の者同士で同窓会を組織、運営しています。その絆は固く、その会費は故郷に送られ、都市で勉強したかった人たちや、仕事につけなかった人たちの生活改善のために使われます。安全な水の供給設備の建設や村の教師の月給の支払い、葬儀代の援助、道路の修理、医薬品の購入、健康管理センターの建設などにもその金は使われます。だから大学で勉強することは本人だけでなく、大きな目で見ると地域社会まで恩恵を受けることになります。  

《日本とは違った入試制度》

アフリカの高校卒業試験と大学入試では日本の方法とは違っています。日本では大学別の入試で、受験生はそれぞれ違ったテストを受けています。アフリカのフランス語圏の教育制度は、全国一律に、一週間におよぶ「バカロレア」というテストが行われます。この試験では受験生たちが将来専攻したい学科とはあまり関係のない一般的なものです。社会科学を将来勉強したい人には技術系や理数系の問題が少なめに、理数系や理工系に進むものには多めに出題されています。

しかし将来の専攻に関係なく、すべての科目をカバーする幅広い知識を受験生には求められています。全国一斉の試験で、すべての受験生に公平に機会が与えられ、その中の優秀な生徒が大学で勉強する道が開かれています。いったん大学試験に合格すると、どの大学・学部・学科にも入学できる資格が与えられるのが日本との大きな違いです。

また大学に合格すると、奨学金でヨーロッパやアメリカにも留学できる制度の利用に応募できます。しかし実際問題としては全国一斉の試験で合格したからといって、どの大学にも入学を認められ、留学可能かというとそういうわけではありません。試験の総合点、年齢、大学の規模などによって制限されています。入試に合格しても入学できないのは一見不公平のようですが、十分に大学が建設されない限り解決策はありません。アフリカには数えるほどしか大学がなく、それに対して入学希望者が多すぎるのです。私の祖国ザイールの人口は三千万人ほどですが、三つの国立大学しかありません。毎年約十万人の高校卒業生が一万人分ほど大学の席と海外留学を目指すことになりますが、九〇%の者が大学に行きたくても行けないわけです。大学に行けなかった人たちは低い給料で仕事につかざるを得ず、働き始めるしか残された道はないのです。もっと勉強してよりよい生活をしたいという夢はたたれます。

そんなわけで、入試やその結果が判明するまでの間、そして合格しても大学が受け入れの可否を知らせてくれるまでの間どれだけ神経がすり減らされることか。入試で高得点をとった高校卒業したての若者が優先的に大学入学を認められます。これは若いほど、会社に入社した時に給料が低くていいし、退職するまでより長く、会社や政府機関で働くことができるからです。職歴がなく会社勤めが初めての若い従業員は、会社にとっては初任給が低いので魅力的です。また、若く未婚の者のほうが夫や妻としての責任や両親や家族を支えるという実際的な期待によって学業が損ねられることがなく、家族と遠くはなれても、ホームシックにならず学業に打ち込みやすく、感情的にダメになることが少ないと考えられます。

大学は村や町から遠く離れているのが普通です。学生のほとんどは一年に一回、それも夏休みに家族に会えるくらいです。大学では地域別、県別に、入学定員も割り当てられています。だから入試に合格しても、その受験生の出身地から一定数の入学者を満たしていると、その受験生は入学できないことも起こります。

日本ではどのレベルの大学を卒業したかによって、その人の将来の職業や社会生活まで左右されていると言われていますね。有名大学を卒業した人は、そうでない大学をでた人より、就職に際して優先されていると言われていますね。アフリカの大部分の国では大学はほとんど格差がなく、卒業証書の価値は変わりません。どの大学に入るかというより、大学そのものの入学許可が重要なのです。

《勉強は貧しくても》

全国規模での試験は本当に大切なので、生徒たちは授業が始まると受験勉強です。九か月にわたって本を読んだりもっと情報を集めたり、詳細にノートをとったりで、たくさん時間を費やします。この全国一斉の受験は、高校最後に習ったことだけでなく、小・中・高を通して習ったこと全部について出題されます。日本のようにアフリカには塾がありませんから、子どもたちはこの特別な勉強の仕方を何か考えつかないといけません。裕福な家庭の子どもたちは家庭教師を雇えますが、そうでない子どもは夜間勉強コースを自分たちで組織します。ある教科に優れた子が、そうでない子を教え、不得意の教科はほかの子に教わるというやり方です。多くの家庭には電気がひかれていませんから夜遅くまで教室で勉強します。学校に電気のない場合にはこつこつと貯めたお小遣いでロウソクや石油ランプを買って勉強を続けます。アフリカでは石油やガスは産出されますが、ヨーロッパや日本なみに高価です。月収三千円程度の平均所得が多いアフリカの家庭にとっては石油やガスは高嶺の花です。家庭が貧しくて、石油やガスを買えない子どもは襲ってくる蚊や、寒さや、強い風や雨を我慢して街灯の明かりで、夜は友だちと勉強を続けます。ただ、そういう状態で勉強を続けると視力が確実に落ちてきます。毎日の食事でビタミン Aを十分摂っていない子どもには失明の危険すらあります。栄養不足の食生活を成長期に長時間続けていると、十分に成長できず、その子の一生に影響を及ぼす健康問題が起こります。

《受験と迷信的習慣》

このように勉強する環境に恵まれなくてもアフリカの子どもたちは我慢して勉強に励んでいます。不便を忍び、懸命に勉強しながらアフリカのたくさんの子どもたちは、目に見えぬ世界や、ご先祖さまに力添えをお願いしています。迷信として考えられることをいろいろとやってみたりします。国にはそれぞれ、よそ者には迷信として簡単に片付けられてしまう目に見えぬ世界との関係や儀式があります。例えば、西洋の人たちにとって、日本の受験生が受験前に神社にお参りする姿は興味深く映ります。ある本によると、日本では受験生とその親たちが神社仏閣にお参りして入試に合格できますようにとお祈りします。東京の亀戸神社では三〇円出しておみくじを買い、祈りをこめて境内にある木の枝に結びつけたり、千円のお守りを買って家に持ち帰ったりします。また三千円出してお払いをしてもらい、神主さんに自分の名前を読みあげてもらい、拍手を打ち、神様に「試験に合格しますようにお力をお貸しください」とお願いするのです。一万円献上すると、神主さんは受験生に代わって一年間毎日お祈りをしてくれます。受験生は神社仏閣で幸福をもたらしてくれるというおみやげを買います。

その傾向は動物園のような一見関係のないような場所でも同じです。四国高松の栗林公園動物園にいるリッキーというゴリラは、試験に合格したたくさんの受験生からの感謝の手紙や、贈りものの果物や現金をたくさん受け取ります。受験生たちによるとリッキーが自分の糞を檻の鉄柵めがけて投げつける習慣が幸運を呼ぶとのことです。受験生達にとってこの糞(ふん→うん)は「運」につながり、幸運のしるしとしてとらえられているようです。この動物園ではリッキーが糞を投げつけている写真を入れたお守りを合格祈願のお礼として希望者に頒布してきます。

鎌倉の銭洗弁天では、巳(み・蛇)の日のお祭りに受験生や一般の参拝者が小銭にビニール袋で保護した紙幣を洗い、それを早く使い、弁天さんの守り神である「福の神」にそのお金を二倍にして返してくれるようにお祈りするのです。

By チロンボ・ンゴイ Jr.

アフリカの遺産・文化と伝統 African Heritage: Cultures and Traditions

Story 6

African Heritage: Cultures and Traditions

アフリカの遺産・文化と伝統

《文化の担い手はグリオ》

以前にお話しましたように、アフリカの農村に住む人々の80%は読み書きができません。それゆえ口伝えによる伝承がアフリカの文芸の主流です。部族、王国の歴史も口伝えで語られてきました。グリオ(伝統的な歌い手)の仕事は歴史を記録し、次の世代へとつなぐことです。グリオはアフリカの多くの活動のように世襲制になっています。アフリカには、現在、私たちが慣れ親しんでいるような教育訓練形態はありませんでした。そのため家庭とか祭りを司る人たちが、伝統、風習、部族の歴史について、子どもたちや若者たちを指導する役割を担っていました。王や村の長(おさ)の賛辞、動物にまつわるおとぎ話、歴史的英雄の伝説、などなど。女の人たちが歌う歌、格言などの形を通して、長老たちの知恵が受け継がれてきました。

 

《ドラムは楽器ではない》

グリオの仕事はものすごい記憶力を必要とします。アフリカの音楽とダンスはただの娯楽ではありません。社会規則、価値観、達成すべきゴール、歴史などを呼び起こす、それなりの意味が込められている、さまざまな音楽やダンスがあります。そして、使われるアフリカのドラムは音楽だけでなく、お互いの意思の疎通をはかる手段としても用いられるすばらしいものです。ドラムによって村への呼びかけが行われると、村人たちは、すぐに聞き分けることができました。

外国人にとってドラムは音楽しか聞きとれず、ドラムをたたく人の意志や、音が織りなす複雑な意味を聞き逃してしまいました。今の若いアフリカ人や都会に住む若者たちには、ドラムによって伝えられるメッセージを理解できません。急速に近代化してきた都市では、文化遺産が失われつつあります。

アフリカの芸術の隠れた価値が見出されてからは、学者たちは未来にアフリカの遺産を残すため、できるだけ記憶にとどめようとやっきになっています。村々の年長者が亡くなっていくことは、アフリカ文化の滅亡につながっていきます。

今の多くのアフリカの文化は西洋の言葉(英語・フランス語・スペイン語・ポルトガル語)で書かれています。そのためアフリカの特徴が他の言語によっては上手く伝えられずに、省かれる部分ができてしまいます。そのためアフリカ人による文学をキコンゴ語、ズル語、ヨルバ語、リンガラ語、チルバ語、スワヒリ語、ソマリ語などアフリカ固有の言語で書き表す努力が続けられています。日本では独自の文化をもっていたからこそ、りっぱになったのです。アフリカの人たちもこれに気づかなければなりません。今では物質的に富の追求だけの経済発展より、文化の発展のほうがもっと大切なことだと多くの人々はとらえるようになりました。

人形、音楽(ドラムとパーカッション)、お面などが海外に知られているアフリカ芸術の代表的なものです。ミリアム、マケバ、サリア、ケイタ、モリ、カンテなどの多くの才能のあるアーチストたちは世界をまわり、アフリカ人のもつ才能を惜しみなく分け与えています。これは忘れがちなのですが、芸術による表現というのは、そのもののもつ美と実利の面だけで作り出されたものではないことです。アフリカの芸術形態は神と先祖と、今を生きている人たちを結ぶ神聖な意味が込められていました。大切なことは、それぞれの芸術作品がほんとうの芸術品なので、ひとつとして同じ形のものがないことに気づくことです。アフリカのアーチストたちは大量生産を奨励していませんでした。

 

《重要な仮面の役割》

仮面は多くの村々での生活のなかで特別な機会にだけ使われています。現在でもそうです。仮面の大きさや形は、その役割によりさまざまです。グリオ(かたりべ)の仮面、お願いの仮面、スパイの仮面、知恵の仮面、戦争の仮面などがありました。これらの仮面自体に大きな力が秘められていると考えられていました。その理由は仮面をつけることで神に近づくことも可能で、そのためひどく恐れられて敬われていました。

アフリカの村々に伝えられる仮面はすべて口が開いています。その開いた口から神様や先祖からのメッセージが、この現世の人たちに伝えられるということになるのです。だから仮面をつける人は、そのメッセンジャーとしての役目を果たし、仮面がその人に特別な力を与えることになると考えられているので、仮面の扱いは恐れられ、敬われて、伝統と秩序を保つ大切な社会的機能を果たしていました。

仮面をつける人たちは、もちろん、きびしい訓練をくぐり抜けてきた人たちでした。悪魔を退治したり、たくさん収穫ができますようにと祈り、また病気が早くなおりますようにと先祖や神様にお願いしました。仮面はいつもドラムといっしょに用いられました。

アフリカの芸術を理解するためには、それを生み出した社会規範に対する知識を持つことです。アフリカの人のほとんどは見えない世界と生活を別々にとらえていません。私を含めてですが、人は死んで私たちの目には触れないのですが、この世界でのできごとに積極的に運営・参加していると信じています。

だから仮面は重要なのです。アフリカの人たちは見えない世界の重要性を認識しています。見えない世界からの意志を代表して仮面がこの世とのコミュニケーションの役目を果たしていると考えられています。そのために仮面は尊敬され大切に扱われています。(次号に続く)

 

By チロンボ・ンゴイ Jr

African Kingdoms アフリカの王国

Story 5

 

African Kingdoms

アフリカの王国

ヨーロッパの侵略が始まる前は、アフリカには高度に営まれた国々がありました。アフリカの王国には物質的には富を重んじたわけではありませんでした。これを説明するとヨーロッパがアフリカを侵略する前には、どうしてアフリカの国々が経済的に発展しなかったかがおわかりになると思います。

アフリカでは利益の追求よりも、権力を手にすること、威信を保つことのほうがもっと大切で、それを手に入れることが人生のゴールだったのです。そのため必要なもの以上は生産しようとはしませんでした。

繁栄を誇った国々の中に、ベナン、コンゴ、ソンガイ、ルバ、マリなどがあげられます。それぞれの王国には国の起こりを伝える伝説があります。そのうちの西アフリカのバウレ王国がどのようにしてできたかをお話しましょう。

アシャンティ王国の女王の座をいくつかのグループが狙っていました。ポク女王は敗れてしまい、何千人もの家来といっしょに逃げました。アシャンティ王国の軍隊は女王を捕らえ、罰しようと後を追いました。王女たちの一行がコモエ川に着いた時、カヌーがなかったので困り果てて神様にお願いすると、王女のただ一人の息子と宝石をいけにえとして川に投げこむようにとのお告げがあり、泣き泣き王女がそのとおりにすると、神様は彼女の願いを受け入れて、川に木を折り曲げるように橋をかけてくれました。王女と家来が無事渡り終えて、アシャンティ王国の軍隊が川にたどり着く前には、木はもとに戻ってしまい、軍隊は川を渡ることができませんでした。

その後、そこに住みついた人たちと、その場所は何千人もの人々の命を救ってくれた王女のひとり息子にちなんで"バウレ"(子どもは死んでしまった)として知られるようになりました。王女はあらたに王国を治め、人々から尊敬され、今でも彼女への讃辞をこめたお祭りがあります。王女には他に子どもがいなかったので、姪のアクワ・ボニガが後を継ぎました。コートジボアールの現大統領は"バウレ"の長(おさ)でウフェット・ボワニィといいます。

秩序だった組織などなく、原始的な集落がただ寄り集まっただけというアフリカの社会のイメージが根強くあるのにもかかわらず、たくさんの王国がアフリカのサバンナに起こりました。その頃、アフリカを訪れた旅行者たちはガーナ、ベナン、マリなどのすべての国々が村々にしっかりとした組織をはりめぐらし、裁判所もあり、役人、大臣、音楽家たちもたくさんいて、豊かだったので目をみはりました。王国の多くは同時代のヨーロッパの国々に比べてより洗練された行政機構とルールをもっていました。アフリカの王国と文明は遅れているという考え方を広めたヨーロッパのやり方は、ある意味では間違っています。知性的にも、精神的にも、これら王国のうちのいくつかはヨーロッパに比べて格段に進んでいました。ヨーロッパにひけをとっていたのは、戦争の技術と物資面だけでした。軍事と物資面だけが優れていたので、ヨーロッパ人はアフリカの王国を植民地にしたのです。

 

《植民地》

ヨーロッパ人による大陸への侵略と占領のことをアフリカ人は歴史上もっとも屈辱的で、いみ嫌う時期として"植民地時代"と名づけて呼んでいます。ヨーロッパの重商主義と工業化が海外へ広がっていったことにより破壊がもたらされて、アフリカの既存の秩序を根本から変えていきました。

その時代、ヨーロッパの文明、文化に属していなかった人たちにとって、ひどく不公平と破壊の時代でした。多くのアフリカ人たちがアメリカの東海岸や南アフリカやカリブ諸国へと連れられていきました。何百万というアフリカ人が村々から連れ出され、奴隷として売られました。一千人もの人がアメリカの大規模農場で働くよう強制的に連れ去られました。それ以上の人たちが運ばれる途中の船や陸地で死んでいきました。

ヨーロッパが軍事的に優勢にたっていたために、気球における主な植物生態系にも大きな変化を与えました。南アメリカ産の「メイズとうもろこし」と「キャッサバ芋」は世界に広まっていきました。メキシコ産のココアは何百人もの西アフリカの人々をささえる糧となっています。アマゾンのゴムの木は東南アジアに根をおろしました。

中国産のお茶は東アフリカからの輸出品目となっています。世界経済におけるヨーロッパの支配は文化と環境の両方をみても、ほんとうに破壊的なものでした。アフリカ人はヨーロッパ人の利益のために自分たちが口にしたり、利用もできないもの(ココア、コーヒー、綿、茶、ゴムなど)を栽培するように強制されました。これがアフリカが飢餓と砂漠化をつくりだす原因となっていきました。土地の肥沃なところは輸出用作物栽培に使われ、やせた土地で限られた時間内と作業で最低必要な栄養をまかなえるような作物を栽培していかなければなりません。やせて地力の落ちた場所に雨がたくさん降ると、表面にある肥えた土壌を洗い流してしまい、耕作量がひどく落ちます。

アフリカには本来、土地の個人所有という概念はなく、みんなで仲良く所有していました。ところが植民地化にともなって土地の個人所有の概念がヨーロッパ人によって広がっていきました。

植民地化によってアフリカ人の生活が改善されたという人がいます。アフリカの国益もしくは、状況にそぐわない行政、技術、法の支配、科学、教育が理由としてあげられたりします。これら"利益"と呼ばれるものが、まさに今日のアフリカでの政治的、社会的問題を起こしているのです。自給自足で成り立っていたアフリカの社会を根底から壊し、アフリカ大陸をヨーロッパのための原料と労働力供給地へと変えたのです。個人主義にもとづいた個人所有と資本主義が導入されることにより、誠実さと結束力にもとづいたアフリカの価値システムが破壊されていきました。西洋の価値観ではグループ全体の成長より個人の成長を重くみたのです。

アフリカには資源が豊かなのに、どうしてそこに住んでいる人は貧しく、惨めな生活をしているんですか、という質問をよく受けます。この悲しい状況を説明するには、いろいろな点があげられます。アフリカが政治的にも経済的にも不安定な理由は植民地にあります。一九六〇年後半、アフリカの国々は独立していきました。しかしリーダーの地位に座った人たちはヨーロッパで大学などの最高教育を受け、そこで自分たちが慣れ親しんできた西洋の生活様式をそのまま、母国で営もうとしました。ほんとうに国を想う人たちや民主主義のリーダーたちは暗殺されたり、排除されてきました。このようにして、植民地時代を経て独立にいたる道のりは決して平坦ではなかったのです。

でも皆さん、考えても見てください。日本でもそれほど遠くない昔、生活することが大変な時代があったことを。資源のない日本がここまで豊かになったのは、皆さんの祖父母や曽祖父母たちが教育を大切にしてきたからです。教育を受けた人材こそが日本の誇れる資源なのです。

By チロンボ・ンゴイ Jr.

私たちは、なぜ学校に行き勉強するのか? Why do we go to school and study?

Why do we go to school and study?

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私たちは、なぜ学校に行き勉強するのか?

《何のために勉強するのか》

世界の六歳から十一歳までの就学年齢の子どものうち、現在約一億人が学校に通えず、十億人の大人が読み書きできません。そして、もっと多くの人たちは、高校や大学に行けません。世界の子どもたちの大多数は貧しさとか、ただ単に先生や教科書が不足しているという理由だけで学校に通えないでいます。

日本では、ほんとうに勉強したいという人たちには基本的には教育の道は開かれています。日本の子どもたちは、休まず学校に通い続け、勤勉です。アメリカやアフリカやヨーロッパでは一日に八時間以上も勉強する子どもはまれです。宗教的な休日に加えて、数多くの国家的祝日の他に三か月に及ぶお休みを彼らは楽しんでいます。多くの日本の子どもたちは、一日に合計すると十二時間から十四時間も学校や塾で過ごし、友達と遊ぶ時間はほとんどありません。私はその忍耐強さと我慢強さに敬服します。

私が日本の学校でアフリカについて話をする時、生徒にどうしてそんなに懸命に勉強するのか、とよく尋ねてみます。この信じられないくらいに熱心に、驚くほどの犠牲をはらってまで勉強するその目的はなんなのでしょうか?

いくつかの注目していいような例外もありますが、私が得た答は、どこでもほとんど同じでした。第一の動機は、よりいい上級学校、そして最終的には、華やかな職業につけるよう、さまざまな受験に向けて準備万端を整えることです。

 

《学校は就職のためではない》

日本の生徒は、いい仕事につくとお金をたくさん稼げ、すばらしく快適で堅実な人生を送れるものと思っています。生徒たちが私に話してくれたことによると、彼らが学校でできるだけの多くのことを学ぶのは、医者、技術者、看護婦、ビジネスマン、官僚などになる夢を実現したいと思っているからだといいます。中には、援助を欲している人たちを助けるために必要な知識を得たいと望んでいる人もいます。私はこうした理由で学校に行くのは賛成です。しかし、私は一方に偏らない、完成された個人として成長することが、勉強のまず第一の目的だと思っています。入学試験や職業が保証されることは、非常に重要なことですが、学校を卒業し、希望の職業についてみると、それは人間の成長のほんの一部分だけを果たしたということに気がつくでしょう。人生とは、ほとんどの皆さんがいま想像していることよりも、はるかに大きなものであり、もっと気高いものです。

教育とは、大気が人間の体を支えるためにあるように、心のためにあるのです。大気は豊富にあるので、私たちはそのありがたさがわからないし、私たちの生活に大切な役目を果しているのを忘れがちです。大気に酸素がなければ、ほとんどの植物も人間の生活も維持できません。酸素が不足すると病気になったり、時には死ぬこともあります。教育とは心の酸素です。今日の日本には十分過ぎるほど学校があり、たくさんの教科書や図書館があります。こんなにたくさんの知識のよりどころがあると、人々はそのありがたさを忘れてしまいがちです。人間にとって知識がどれだけありがたいかということを忘れがちです。

 

《教育は知的な生活を送るため》

正当な教育から得た知識がないと、人生は十分な日光と酸素なしで育てた植物のようになってしまいます。たとえ生き残ったとしても、その植物はたぶん果実をつけないでしょう。教育は意義ある知的な社会生活を支えるために必要な知識を私たちに与えてくれるのです。もっと重要なことは知識は、自由と自信を与えてくれます。もし、無知で、読み書きができないとすれば、常に他人を頼りにして何か重要なことを決めようとする時、翻訳してもらうことになりますし、真実がわからないままになってしまいます。教育を受けることで、私たちの周りに起こっていることがよく理解でき、それをコントロールできるのです。私がいう環境とは、人間を取り巻くすべてであり、人生です。周りの人たちや他の国々や文化との関係であり、政治的、社会的機構であり、樹木や花々などです。

 

《学校は視野を広げるところ》

本来、学校は人の心を健やかに育て、人間形成を順調に行うところです。学校で人は自分と他人を理解することを学びます。先生のお話や教科書のほかに、学校での日々の経験から自分の価値ばかりでなく、判断力も育てていくのです。私たちが生きている世界に、どんなことで貢献していくべきかを決めることもできるのです。あなたのクラスメートとの交流も貴重な学びの体験になります。意見を交換したり、情報を教え合ったり、自分の信念を広げたり、友達のもっている違った面でのよさがわかり、自分に取り入れる機会ともなります。教室の外では他人を尊敬するようになるし、友情、愛、誠実さ、正義、勤勉、約束事に忠実であることが大切であるという人生の醍醐味を学びとります。

学校が皆さんに用意しているものは情報をすばやく探し出すこと、自分で系統だてて考え、そして理論的に結論を出すことなどです。知識が増えるにしたがって、ひどい偏見がなくなるでしょう。偏見は無知の産物です。

情報伝達や交通の発達に伴って、世界はひとつの小さい集落になってきました。勉強をすることであなたは心を広げ、ほんとうの活動的な国際人になることができます。世界で今何が起こっているのかを理解して、どうしたら地域的な小さい活動が、みんなのためのより良い世界を築くための前向きに貢献できるかがわかるようになるでしょう。でなければ、この時代に生きていることにならないのです。国際理解が足りないことは、皆さんの見方が狭いだけでなく、利己的で後ろ向きになっていることになります。世界で起きている飢餓や不公正、貧困、非識字のような大きな世界的問題は、知識なしでは解決できません。あなたがたは現在教育を受けていますから、その解決に前向きにかかわりをもつことができます。

教育はあなただけでなく全世界のためにいいことです。きっと皆さんは歴史の勉強で、無知なるがために世界ではたくさんの不必要な悲劇や、多くの血なまぐさい戦争を引き起こしていることを知ったでしょう。あなたや他の人を教育することは、平和と公正のためになくてはならないものです。

 

《教育は人間的な成長のために》

人間とはなんでしょうか?肉体やそれを覆っている衣服は問題外です。ほんとうの人間の本質は権力や、お金や名声ではありません。その人間が他の人の記憶に残るときは、その人が感じたこと、思ったことについて、彼が何をどのように考え、話したかによります。彼がとる行動というのは、彼の内面の成長、知恵、心の豊かさを如実に他の人々の目に示すのです。教育がなかったら、人間は情緒、精神、知的な成長の機会を失います。

もちろん、学校は個性を完成させるために必要な知識を得ることのできる唯一の場所ではありません。今まで知識と知恵をもって世界に貢献し、すぐれた業績を残したたくさんの偉人は、学校にほとんど行かなかったか、アインシュタインのように、学校に行っても、最初はだめな学生だったのです。知識を得るにはいろいろと多くの方法があります。けれども、学校は楽しい人生(忙しいだけでなく)の基礎を築くためには、てっとりばやい手段です。だから学校を活用しましょう。今、手にしているそのチャンスを逃さないようにしよう。皆さんが自信に満ちあふれ、エネルギッシュで、決断力があり、創造性に富んでいて、生き生きとして、しっかり発言できて、問題をどんどん自分で解決していける人になっていくと、たいていの人は皆さんを、うらやましがり、尊敬するでしょう。

 

《ほんとうの幸せとは》

貧富を問わず、教育は、人が成長を遂げ、人生の成功の花を咲かせる種なのです。受験のためでなく、将来いい仕事につくためだけにのみに勉強はしないでください。あなた自身のために、あなたの人生計画をはっきり打ち立てるために勉強をしてください。忘れないでいて欲しいことは、「幸せ」とは私たちが何を所有するか、たとえば、お金とか、車や、家や、ステレオなどがもてることではなくて、私たちが誰であるか、誰と密接に人間関係をもっていくかによって決まるということです。私たちは魂があり心があって人間なのです。あなたの魂と心が、あなたを真の人間たらしめ、植物とか動物などの他の生物と一線を画させているのです。教育が知識を注ぐことによって、あなたの心を育てあげます。だから学校をただ忙しいところだけでなく、実りある体験のできるところにしてください。

最後に、今年1992年が皆さんにとって幸せで、平穏なすばらしい年であるように祈ります。

子どもたちができること __ Helping Each Other : Children Cooperate internationally across borders. The minds of children are fresh and free from national and cultural boundaries.

Helping Each Other : Children Cooperate internationally across borders. The minds of children are fresh and   free from national and cultural boundaries.

子どもたちができること

《子どもでもできる助け合い》

アフリカや、世界の多くの国々は、援助を必要としています。アフリカでは教育、健康管理、安全な飲料水の供給システム、交通や農業技術などの適切な援助を必要としています。あなたはそれに対して何ができますか?アフリカの草の根運動プロジェクトのために募金活動をしたり、中古品を集めたり、新聞に投稿したり、文化行事や、アフリカの人を招いて講演会を開いたりして、日本の中でアフリカへの関心を集めさせることもできるでしょう。大人や地域活動を中心に行動しているリーダーたちに、アフリカの子どもたちを救うために、何かやってくださいと説得することもできるでしょう。手紙や絵を通して、アフリカと固い友情のきずなを築いたり、国際相互理解をすすめることもできるでしょう。姉妹学校として提携していくことも、海外の子どもたちと足並みそろえていくのに、とても重要なやりかただと思います。

こういうふうに、あなたがたのできることがたくさんあります。あなたのイマジネーションを働かせてください。将来に対して、はっきりこれをしたいというイメージをもっているなら、この世の中に不可能なことなんてないのです。あなたの心に耳を傾けて、それをやり抜くのだという強い意思をもって行動してください。もし一人でやろうとすると、いろいろな困難にぶちあたるかもしれないし、やりとげて結果を得るまで、もっと時間がかかるかもしれません。他の人といっしょにやれば、ごールにもっと早く到達できることでしょう。

 

《援助はまず小さいことから》

日本やアメリカやヨーロッパやカナダなどのお金持ちの子どもたちはよく、貧しい国々の子どもたちを助けてあげたいと願っていますが、無力だと感じます。それら貧しい国々の子どもたちが直面する問題(字の読み書きができない、飢え、病気、砂漠化など)はあまりにも大きく、複雑で、その解決には多額の費用と時間がかかると思われがちです。また彼らにとってアフリカは理解しずらいと考えがちです。学校の授業も忙しいから、簡単にあきらめてしまい、何か意義のあることをするのに十分な費用と時間がないと結論づけてしまいます。ところが、このような望みを失いかけるような、あきらめの状況になるのは、日本の国の子どもたちが、どんな小さい行動でも、アフリカの村にとっては、十分に役にたつのだという事実を知らないからおこるのです。お金の他に、どのような貴重なことができるのかを知りません。カリフォルニアの子どもたちのように、日本の子どもたちも必要に応じて他人を助けるための、彼らのノウハウ、技術、創造性、能力を使うことができます。ここでの小さな行動が、海外では大きなインパクトをもたらすのです。

 

《僅かの費用で救える「いのち」》

お金で何ができますか?二万六千円あったら、二百人が住む村で安全な水を供給できる井戸が一本掘れます。それによって、いままでのように不衛生な水を飲んで死んでいた子どもたちの半数は助かることになります。六円あったら、ビタミン Aの錠剤を二粒買え、それを一年に一回飲むことで失明しなくてすみます。アフリカでは毎年、何千人もの子どもたちがビタミンAの欠乏で視力を失っています。三千円あると一人の子どもが一年間学校に通うことができます。百万円あると二百人の子どもが勉強できる学校がひとつ建てられます。もしあなたの学校に五百人の生徒がいるとして、毎月一人あたり二百円寄付していただくと、学校が一校建てられるのです。

 

《中古の衣類も貴重な援助》

アフリカの村々のプロジェクトに使ってもらうために募金として集まったお金を送ることは援助としては、もっともてっとり早い便利なやり方です。だけど他にも、村人が一生懸命に働いて、彼らの生活を改善していくのに役に立つ、大切な貢献の方法があります。多くのアフリカの子どもたちはユニフォームや普通の洋服が高価すぎて、なかなか買えません。あなたやお友だちで、清潔で持ちのよい洋服を集めてきて海外のお友だちに送ることもできます。日本では無駄に捨てられている機械や学用品を集めて送ることもできるでしょう。古くなったテレビ、ビデオ、ボール、バイク、カメラ、リュックサック、靴などが無造作に捨てられているのを家に帰る途中毎日のように見かけます。日本では簡単に新しいものが買えるし、また今まで使っていたものを置く場所がないからです。車でさえ四年乗るとスクラップ用に回されます。アフリカでは多くの貧しい人々が公共の車や、救急車の修理部分として中古のスペアパーツやエンジンを必要としているのです。

 

《援助は資源のリサイクルにも》

世界規模のリサイクル運動の一環として、あなただけでなく、お友だちや、近所の人や、同じクラスの人がこれらの品物を集めてアフリカへ送ってあげるとすると、そこでは、あと十年か十五年は大事に使えるのです。もちろん送るには、送料がかかります。でも、もし、あなたが尋ねたら、あなたの地域に住むビジネスマンやリサイクル団体は送料を負担してくれるかもしれません。

こういうことは、世界の資源を守るだけでなく、環境を保護し、アフリカに住む人々の生活を便利にし、あなたとあなたの学校のきずなをも、新しい友情で築きあげることもできるのです。お金や物を送るだけでなく、アフリカのことをもっと学び、あなたが記事を書いてアフリカの子どもたちが何を必要としているか、他の人達に知らせてあげることもできます。アフリカの人をあなたの学校に招いてレクチャーしてもらい、その人から直接お話を聞いて情報を得ることもできます。自分で本も読めます。多くの子どもたちが新聞や雑誌、他の印刷物に記事を書くなんて自分にはできないと思います。でもやってみると、思っているよりも簡単なんです。何かあるトピックスについて感じていること、考えていることを書くとすると、今まで埋もれていた才能を見つけることもできるでしょう。

 

《子どもの声は天の声》

自分たち子どもの声を、大人は耳を傾けてくれないと思っていますが、それは違っています。特に政治家やビジネスマンというものは、子どもたちの声に注意深く耳を傾け、子どもの願いをかなえようとします。あなたが何かしたいと思うとき、先生やクラスメートを説得して、皆で書いた手紙を集めて送ると、もっと効果的でしょう。新聞社や政府関係者に、世界の子どもたちが直面している問題の解決のために力を貸してくださいと頼むのも大事な方法です。大人や政府は、たくさんのお金と権力を持っています。もし、あなたがた子どもが、助けてくださいと、声を出していうならば、大人はだいたい前向きに対応してくれます。でも、あなたが状況や何をすべきかを説明してあげない限り、大人は重い腰をあげません。大人が海外の子どもを救ってあげようとしないのは、テレビや新聞で取り上げない限り、どういうことが起こっているのか知らないのです。知ったときには手遅れなのです。

大人と情報を分かちあうということは、あなたにとっても、何かしらの大切な経験となります。鎌倉市立五縄中学二年の河口知世さんという女生徒は、私のレクチャーを聞いて得た新しい知識を、彼女くらいの年代の多くの子どもたちに知らせてあげようと決心して、心に感じるままに正直に書いて、ある小冊子で発表したのです。その彼女の記事を読み、心打たれた週刊「朝日中学生」の編集者は、それを取り上げ掲載しました。何千人という大人と子どもの読者が読みました。彼女の学校や地域の人たちはザンビヤの学校のためにノートとお金を集めました。ここに彼女の記事を要約して紹介 します。

By チロンボ・ンゴイ Jr.

Children of Africa: Family, School and Work.

Children of Africa: Family, School and Work.

  アフリカの子どもたち——家族、学校や仕事のこと——

《強い家族の絆》

アフリカでは家族の絆はたいへんに強いものです。子どもたちもそうですが、家族のだれもがその親戚からあるがままに愛され、尊敬され、仲よく生活を楽しんでいます。アフリカでは大家族が一般的です。私は十人の子どものある家族の出で、二人の弟と七人の妹があります。「いとこ」に相当する言葉は私の母国語にはありません。私の叔父や叔母の子どもたちは、みんな私の兄弟であり姉妹です。だから私はおよそ一二〇人の「きょうだい」がいることになります。彼らはみんな同じ家族としての権利と責任をもっています。六人の子どものある家族が平均的です。日本では現在は一・六人が一家族あたりの子ども数です。

アフリカでは子どもたちは神や先祖からの貴重な贈りものと考えられています。子供はたいへんに大切なものなので、両親や祖父母たちは赤ちゃんの誕生のためにためらいもなく蓄えを吐き出してしまうのです。私の祖父は初孫である私が数千キロメートルも離れたところで生まれたと知らされて狂喜しました。祖父は後継ぎができたことを辺りの村々全域に知らせようと夜通し人を雇ってドラムを打ち鳴らして幸福感を表わしました。ドラムは楽器だけでなく、遠く離れた村々の間の連絡のための電話代わりによく使われます。村では尊敬されている狩人の祖父は銃をとって二十一回空に向かって空砲を撃ちました。まもなく祖父は弾薬やお金を使い果たしました。この物入りなお祝いで祖父はすっからかんになりましたが、家族の成長があるからと気持ちは豊かです。

 

《よく働く子供達》

アフリカはたいへんに貧しく、だれにも食べ物の余裕はありませんが、たいていの親たちは子どもをたくさんもちたいと願っています。そう願うのは何人の子どもが育ってくれるか分からないからです。アフリカでは五歳から十歳になるまでに多くの子どもが死んでいきます。日本では大きな健康上の障害がなければ、たいていの子どもは七十歳以上生きられます。アフリカでは平均四十五歳です。アフリカの子どもたちは絶えず、栄養失調と非衛生な水を飲むために病気と隣り合っています。河川は一般的に休んだり、料理したり、洗濯するための唯一の水源です。

子どもたちは家族名を引き継いでいきます。子どもたちはまた親たちが年老いてから面倒をみてくれるという意味合いをもっているのです。政府は農村地域の貧しい人には年金や福祉金を払ったりしていません。どの家族も貧しすぎて蓄えはできません。たいていのアフリカの家族は月に三千円以下の収入です。どのアフリカの子どもも平均でひと月に二百円、一日に七円もらっていることになります。これではもちろん学校の授業料や給付物、食べ物、衣類、靴などの代金の支払いには不十分です。だから元気なアフリカの子どもたちの多くは放課後、親の仕事を手伝ったり、自分の学校の費用を稼いでいるのです。農村地域では市場で売るために魚を採ったり、狩をしたり、主食の甘藷、米、バナナなどを育てています。都市部ではタバコ、マッチ、キャンデー、サングラス、手作りのオモチャや工芸品などの売り子として働いています。街角では、子どもたちはよく僅かのお金で車の掃除をしたり、旅行客の靴磨きをしたりしています。きつい仕事をして得たお金は学校の費用にしたり、両親を助けて小さい弟や妹のめんどうをみるのです。小学校の子どもさえ責任をもたされているのです。家の仕事をしながら家畜、にわとり、アヒルなどの世話をして、屋外で宿題をすませます。彼らはまた両親が仕事で忙しくしている間は赤ちゃんの世話もしているのです。どの子どもも、学校の勉強の他にある仕事の負担に文句はいいません。子どもたちは、家族の者に役立っていることや、社会で実際に活躍している一員であることに誇りをもち、ほんとうに幸せなのです。彼らは放課後働くことによって、家族の者から、また村の住人たちから賞賛だけでなく尊敬と感謝を得るのです。

 

《学校が好きな子どもたち》

彼らは朝は早く起き、朝の寒さの中、遠い所まで素足でよく歩いていかないといけませんが、子どもたちはいつもいい心の持ち主です。彼らは歌ったり、うわさ話をしたりしながら歩いていくのです。学校ではまた友達に会い、新しいことを学んだりするのを心待ちにしています。ほとんどの子どもは朝食をとっていません。一日に一度の食事なのです。毎日同じものを着て、午後には洗濯し、夜に乾かすのです。教室はよく混みます。テキストやノートが少ないために先生は黒板にいろいろなことを書いたり説明を詳しくしなければなりません。アフリカの子どもは一年に二〜三冊のノートがやっとです。アフリカでは紙は高価です。生徒たちは黒板を読み、テストの日まで何もかも覚えようとします。アフリカの子どもたちは、たいへんにいい目をしているし、すばらしい記憶力をもっています。

 

《森の中の成人式》

学校はアフリカの子どもたちが大切な知識や知恵を得る唯一の場所ではないのです。成人式の儀式が近づくにつれて重要な社会の掟や倫理感を教わるのです。子どもたちはその儀式を卒業することで正式に成人になるのです。こうした儀式のひとつは次のような運びになるのです。十四歳から十六歳の少年たちは村の真ん中に集まり森の中に連れて行かれます。彼らの頭に道が見えないように袋を被せられます。彼らは部族のグループを表わす歌を歌うだけでなく、神々の叡智と村の先祖の栄光を讃えながら歩くのです。目的地に着くと真夜中に大人たちによってほったらかしにされます。一週間、彼らは自分たちだけで行き続けなければなりません。彼らは食べ物や水を探さないといけないし、ライオン、ヒョウ、蛇などに対する防御や、雨風などから身を守るための寝どこを作らないといけないのです。初めのうちは少年たちはたいへん驚き、戸惑って無気力になります。どうしていいか分からないのです。間もなく、それぞれは自分だけでは生き残れないことや、他人の協力が必要なことが分かってくるのです。彼らはお互いが必要なのです。彼らはみんなの継ぎ足しの知識や技術を結びつけることを見つけたりして学ぶのです。彼らは信頼、誠実、友情、誓約、指導の大切さを学ぶのです。二、三日彼らは森の中でひとりでいると、彼らは自分たちの中でより大きな信頼考えられ、恐怖心や感情をしだいに抑えられるようになるのです。人間生活での環境の重要さが分かるようになるし、環境を壊さないで保護するために自然との調和が生活する上で必要なことをもっと知るようになるのです。横柄の少年たちはこの特別な体験を通して謙虚さを学ぶのです。一週間後、隠れた場所から彼らを見守っていた大人たちは、子どもたちに社会教育を続けようと姿を現します。大人たちは別の週になって少年たちに大切な規則や社会の倫理について教えるのです。全部の過程が終わると少年たちは新しく成人に変身して村に帰るのです。彼らは仮面を着けた先輩や村の長老たちによって先導されます。村にはいるやいなや、新しい成人たちは村人のみんなから、またこの特別の行事のために遠くからやって来た多くのお客さんから大喝采を受けながら温かく祝福されます。お祝いは通常はあくる日の昼頃まで夜通しで行われます。祝宴にはたくさんのドラムの演奏や歌、月下のダンスありで、飲んだり食べたりします。

2007年5月23日水曜日

African Heritage: Cultures and Traditions

African Heritage: Cultures and Traditions

アフリカの遺産・文化と伝統

《文化の担い手はグリオ》

以前にお話しましたように、アフリカの農村に住む人々の80%は読み書きができません。それゆえ口伝えによる伝承がアフリカの文芸の主流です。部族、王国の歴史も口伝えで語られてきました。グリオ(伝統的な歌い手)の仕事は歴史を記録し、次の世代へとつなぐことです。グリオはアフリカの多くの活動のように世襲制になっています。アフリカには、現在、私たちが慣れ親しんでいるような教育訓練形態はありませんでした。そのため家庭とか祭りを司る人たちが、伝統、風習、部族の歴史について、子どもたちや若者たちを指導する役割を担っていました。王や村の長(おさ)の賛辞、動物にまつわるおとぎ話、歴史的英雄の伝説、などなど。女の人たちが歌う歌、格言などの形を通して、長老たちの知恵が受け継がれてきました。

《ドラムは楽器ではない》
グリオの仕事はものすごい記憶力を必要とします。アフリカの音楽とダンスはただの娯楽ではありません。社会規則、価値観、達成すべきゴール、歴史などを呼び起こす、それなりの意味が込められている、さまざまな音楽やダンスがあります。そして、使われるアフリカのドラムは音楽だけでなく、お互いの意思の疎通をはかる手段としても用いられるすばらしいものです。ドラムによって村への呼びかけが行われると、村人たちは、すぐに聞き分けることができました。
外国人にとってドラムは音楽しか聞きとれず、ドラムをたたく人の意志や、音が織りなす複雑な意味を聞き逃してしまいました。今の若いアフリカ人や都会に住む若者たちには、ドラムによって伝えられるメッセージを理解できません。急速に近代化してきた都市では、文化遺産が失われつつあります。
アフリカの芸術の隠れた価値が見出されてからは、学者たちは未来にアフリカの遺産を残すため、できるだけ記憶にとどめようとやっきになっています。村々の年長者が亡くなっていくことは、アフリカ文化の滅亡につながっていきます。
今の多くのアフリカの文化は西洋の言葉(英語・フランス語・スペイン語・ポルトガル語)で書かれています。そのためアフリカの特徴が他の言語によっては上手く伝えられずに、省かれる部分ができてしまいます。そのためアフリカ人による文学をキコンゴ語、ズル語、ヨルバ語、リンガラ語、チルバ語、スワヒリ語、ソマリ語などアフリカ固有の言語で書き表す努力が続けられています。日本では独自の文化をもっていたからこそ、りっぱになったのです。アフリカの人たちもこれに気づかなければなりません。今では物質的に富の追求だけの経済発展より、文化の発展のほうがもっと大切なことだと多くの人々はとらえるようになりました。
人形、音楽(ドラムとパーカッション)、お面などが海外に知られているアフリカ芸術の代表的なものです。ミリアム、マケバ、サリア、ケイタ、モリ、カンテなどの多くの才能のあるアーチストたちは世界をまわり、アフリカ人のもつ才能を惜しみなく分け与えています。これは忘れがちなのですが、芸術による表現というのは、そのもののもつ美と実利の面だけで作り出されたものではないことです。アフリカの芸術形態は神と先祖と、今を生きている人たちを結ぶ神聖な意味が込められていました。大切なことは、それぞれの芸術作品がほんとうの芸術品なので、ひとつとして同じ形のものがないことに気づくことです。アフリカのアーチストたちは大量生産を奨励していませんでした。

《重要な仮面の役割》
仮面は多くの村々での生活のなかで特別な機会にだけ使われています。現在でもそうです。仮面の大きさや形は、その役割によりさまざまです。グリオ(かたりべ)の仮面、お願いの仮面、スパイの仮面、知恵の仮面、戦争の仮面などがありました。これらの仮面自体に大きな力が秘められていると考えられていました。その理由は仮面をつけることで神に近づくことも可能で、そのためひどく恐れられて敬われていました。
アフリカの村々に伝えられる仮面はすべて口が開いています。その開いた口から神様や先祖からのメッセージが、この現世の人たちに伝えられるということになるのです。だから仮面をつける人は、そのメッセンジャーとしての役目を果たし、仮面がその人に特別な力を与えることになると考えられているので、仮面の扱いは恐れられ、敬われて、伝統と秩序を保つ大切な社会的機能を果たしていました。
仮面をつける人たちは、もちろん、きびしい訓練をくぐり抜けてきた人たちでした。悪魔を退治したり、たくさん収穫ができますようにと祈り、また病気が早くなおりますようにと先祖や神様にお願いしました。仮面はいつもドラムといっしょに用いられました。
アフリカの芸術を理解するためには、それを生み出した社会規範に対する知識を持つことです。アフリカの人のほとんどは見えない世界と生活を別々にとらえていません。私を含めてですが、人は死んで私たちの目には触れないのですが、この世界でのできごとに積極的に運営・参加していると信じています。
だから仮面は重要なのです。アフリカの人たちは見えない世界の重要性を認識しています。見えない世界からの意志を代表して仮面がこの世とのコミュニケーションの役目を果たしていると考えられています。そのために仮面は尊敬され大切に扱われています。(次号に続く)
 
By チロンボ・ンゴイ Jr. ( Tshilombo Ngoi, Jr )

EXAMINATION CHALLENGE (PART 1)

EXAMINATION CHALLENGE (PART 1)
Do faith and superstition influence preparation, study for school (university) tests ?--
試験に備えて
  ――懸命な勉強も信仰と迷信的習慣に支えられながら――
《いずこも同じ 試験にソワソワ》
六月はアフリカの子供たちにとって試験でソワソワする月です。今、アフリカでは何百人という高校生たちが大学で勉強できるようにと、その時将来がかかっている全国レベルでのテストに向けて勉強に身をいれています。この時期は生徒だけではなく、受験生をもつ家族にとっても落ち着かない日が過ぎていきます。親は子どもが勉強に精をだしてくれたら将来の生活が楽になるだろうと強く期待しています。大学を卒業することは、貧困と悲惨さから足を洗える近道なのです。けれども、こんな機会はほんのひとにぎりの人にしかやってきません。親たちは親族に援助を頼んだりして、子どもの教育に、できるかぎりの金を注ぎ込みます。家庭が貧しい場合は、特にその長男に大きな期待がかかります。大学を卒業すると、家族ばかりか村人たちも恩恵が受けられると思われているだけに、大学入試の失敗は本人だけでなくそうした人々を裏切ることになります。
アフリカの近代都市では大学を卒業した人たちは同郷の者同士で同窓会を組織、運営しています。その絆は固く、その会費は故郷に送られ、都市で勉強したかった人たちや、仕事につけなかった人たちの生活改善のために使われます。安全な水の供給設備の建設や村の教師の月給の支払い、葬儀代の援助、道路の修理、医薬品の購入、健康管理センターの建設などにもその金は使われます。だから大学で勉強することは本人だけでなく、大きな目で見ると地域社会まで恩恵を受けることになります。
《日本とは違った入試制度》
アフリカの高校卒業試験と大学入試では日本の方法とは違っています。日本では大学別の入試で、受験生はそれぞれ違ったテストを受けています。アフリカのフランス語圏の教育制度は、全国一律に、一週間におよぶ「バカロレア」というテストが行われます。この試験では受験生たちが将来専攻したい学科とはあまり関係のない一般的なものです。社会科学を将来勉強したい人には技術系や理数系の問題が少なめに、理数系や理工系に進むものには多めに出題されています。
しかし将来の専攻に関係なく、すべての科目をカバーする幅広い知識を受験生には求められています。全国一斉の試験で、すべての受験生に公平に機会が与えられ、その中の優秀な生徒が大学で勉強する道が開かれています。いったん大学試験に合格すると、どの大学・学部・学科にも入学できる資格が与えられるのが日本との大きな違いです。
また大学に合格すると、奨学金でヨーロッパやアメリカにも留学できる制度の利用に応募できます。しかし実際問題としては全国一斉の試験で合格したからといって、どの大学にも入学を認められ、留学可能かというとそういうわけではありません。試験の総合点、年齢、大学の規模などによって制限されています。入試に合格しても入学できないのは一見不公平のようですが、十分に大学が建設されない限り解決策はありません。アフリカには数えるほどしか大学がなく、それに対して入学希望者が多すぎるのです。私の祖国ザイールの人口は三千万人ほどですが、三つの国立大学しかありません。毎年約十万人の高校卒業生が一万人分ほど大学の席と海外留学を目指すことになりますが、九〇%の者が大学に行きたくても行けないわけです。大学に行けなかった人たちは低い給料で仕事につかざるを得ず、働き始めるしか残された道はないのです。もっと勉強してよりよい生活をしたいという夢はたたれます。
そんなわけで、入試やその結果が判明するまでの間、そして合格しても大学が受け入れの可否を知らせてくれるまでの間どれだけ神経がすり減らされることか。入試で高得点をとった高校卒業したての若者が優先的に大学入学を認められます。これは若いほど、会社に入社した時に給料が低くていいし、退職するまでより長く、会社や政府機関で働くことができるからです。職歴がなく会社勤めが初めての若い従業員は、会社にとっては初任給が低いので魅力的です。また、若く未婚の者のほうが夫や妻としての責任や両親や家族を支えるという実際的な期待によって学業が損ねられることがなく、家族と遠くはなれても、ホームシックにならず学業に打ち込みやすく、感情的にダメになることが少ないと考えられます。
大学は村や町から遠く離れているのが普通です。学生のほとんどは一年に一回、それも夏休みに家族に会えるくらいです。大学では地域別、県別に、入学定員も割り当てられています。だから入試に合格しても、その受験生の出身地から一定数の入学者を満たしていると、その受験生は入学できないことも起こります。
日本ではどのレベルの大学を卒業したかによって、その人の将来の職業や社会生活まで左右されていると言われていますね。有名大学を卒業した人は、そうでない大学をでた人より、就職に際して優先されていると言われていますね。アフリカの大部分の国では大学はほとんど格差がなく、卒業証書の価値は変わりません。どの大学に入るかというより、大学そのものの入学許可が重要なのです。
《勉強は貧しくても》
全国規模での試験は本当に大切なので、生徒たちは授業が始まると受験勉強です。九か月にわたって本を読んだりもっと情報を集めたり、詳細にノートをとったりで、たくさん時間を費やします。この全国一斉の受験は、高校最後に習ったことだけでなく、小・中・高を通して習ったこと全部について出題されます。日本のようにアフリカには塾がありませんから、子どもたちはこの特別な勉強の仕方を何か考えつかないといけません。裕福な家庭の子どもたちは家庭教師を雇えますが、そうでない子どもは夜間勉強コースを自分たちで組織します。ある教科に優れた子が、そうでない子を教え、不得意の教科はほかの子に教わるというやり方です。多くの家庭には電気がひかれていませんから夜遅くまで教室で勉強します。学校に電気のない場合にはこつこつと貯めたお小遣いでロウソクや石油ランプを買って勉強を続けます。アフリカでは石油やガスは産出されますが、ヨーロッパや日本なみに高価です。月収三千円程度の平均所得が多いアフリカの家庭にとっては石油やガスは高嶺の花です。家庭が貧しくて、石油やガスを買えない子どもは襲ってくる蚊や、寒さや、強い風や雨を我慢して街灯の明かりで、夜は友だちと勉強を続けます。ただ、そういう状態で勉強を続けると視力が確実に落ちてきます。毎日の食事でビタミンAを十分摂っていない子どもには失明の危険すらあります。栄養不足の食生活を成長期に長時間続けていると、十分に成長できず、その子の一生に影響を及ぼす健康問題が起こります。
《受験と迷信的習慣》
このように勉強する環境に恵まれなくてもアフリカの子どもたちは我慢して勉強に励んでいます。不便を忍び、懸命に勉強しながらアフリカのたくさんの子どもたちは、目に見えぬ世界や、ご先祖さまに力添えをお願いしています。迷信として考えられることをいろいろとやってみたりします。国にはそれぞれ、よそ者には迷信として簡単に片付けられてしまう目に見えぬ世界との関係や儀式があります。例えば、西洋の人たちにとって、日本の受験生が受験前に神社にお参りする姿は興味深く映ります。ある本によると、日本では受験生とその親たちが神社仏閣にお参りして入試に合格できますようにとお祈りします。東京の亀戸神社では三〇円出しておみくじを買い、祈りをこめて境内にある木の枝に結びつけたり、千円のお守りを買って家に持ち帰ったりします。また三千円出してお払いをしてもらい、神主さんに自分の名前を読みあげてもらい、拍手を打ち、神様に「試験に合格しますようにお力をお貸しください」とお願いするのです。一万円献上すると、神主さんは受験生に代わって一年間毎日お祈りをしてくれます。受験生は神社仏閣で幸福をもたらしてくれるというおみやげを買います。
その傾向は動物園のような一見関係のないような場所でも同じです。四国高松の栗林公園動物園にいるリッキーというゴリラは、試験に合格したたくさんの受験生からの感謝の手紙や、贈りものの果物や現金をたくさん受け取ります。受験生たちによるとリッキーが自分の糞を檻の鉄柵めがけて投げつける習慣が幸運を呼ぶとのことです。受験生達にとってこの糞(ふん→うん)は「運」につながり、幸運のしるしとしてとらえられているようです。この動物園ではリッキーが糞を投げつけている写真を入れたお守りを合格祈願のお礼として希望者に頒布してきます。
鎌倉の銭洗弁天では、巳(み・蛇)の日のお祭りに受験生や一般の参拝者が小銭にビニール袋で保護した紙幣を洗い、それを早く使い、弁天さんの守り神である「福の神」にそのお金を二倍にして返してくれるようにお祈りするのです。

By チロンボ・ンゴイ Jr. ( Tshilombo Ngoi, Jr )

2007年5月3日木曜日

2007年4月30日月曜日

不便な生活の中にも心は豊かなアフリカの子どもたち

Images of Africa

《不便な生活の中にも心は豊かなアフリカの子どもたち》

東京に住む10歳の日本人の男の子が、ある日私に「僕はアフリカに生まれなくてラッキーだったと思う」と言いました。日本にいると良い生活が送れるからです。彼の両親が彼の面倒を見てくれて、お誕生日には贈り物を買い、それに日本にはいま十分な食べ物があります。彼はアフリカの52か国に5億人の人たちが住んでいることを知っています。そのうちの80%の人々が電気や水道のない農村地域に住んでいることを習いました。そういう地域には病院もまれで、バスはほとんど通っていなくて、地下鉄などもありません。たくさんの子どもたちが通学のために遠い道のりをてくてく歩きます。アフリカに住む人達は、それぞれ少なくとも二つ以上の言葉をしゃべることができます。テレビを通して、この日本人の少年は、たくさんのアフリカの子ども達がお腹を空かし、病気になり、そして痩せ衰えていることを知りました。彼はまた、テレビでアフリカの子ども達は貧しくいい身なりでないことを知りました。彼らの学校に着てゆく服装は着ふるされてよれよれです。私はアフリカの状況をたいへん心配しているこの日本の少年の言うことに耳を傾けて聞きました。テレビを通してどれだけ強くアフリカのイメージが彼に植えつけられていったかを理解したのです。彼がアフリカについて述べたことは、私が子ども時代を過ごしてアフリカとはずいぶん違っています。この10歳の日本の少年は、悲しいかな、間違ってアフリカを貧困と悲しみの大陸ととらえていたのです。けれども彼の、他の国に住む子ども達への温かい思いやりに、私の心は動かされました。彼はアフリカのことをもっと知りたがっていました。私はほんとうにアフリカについて説明してあげるのは私の義務だと思いました。それからは私はたくさんの日本の子ども達に学校やら、校庭やらで会うことを楽しんでいます。招かれて日本の子ども達の前でお話をし、子ども達の質問に答えることはうれしいことです。

私の故郷ザイールでは私が子どもの頃、電気や水道がありませんでした。しゃれたオモチャなどもありませんでした。マンガの本などまれでした。よく私は、アフリカの友達と新聞紙をくしゃくしゃに丸めて紐で結わえたボールを作ってサッカーをして遊びました。チョコレートやアイスクリーム、そしてヨーグルトはあまりにも高価で多くの家庭では高嶺の花で手が届きませんでした。多くの子ども達は白と青の通学服のユニフォームを一着だけ持っており、それを毎日着ていました。そんな生活だったけど、 10歳の頃を思い起こすとアフリカで幸せに暮らしていたのでした。生活は必ずしも楽ではなかったけれど、それでも子ども達は遊び、笑い、自然を発見する時間を見つけだしました。私と同時代の子ども達が楽しめたのは、その時、持っていた物のためでなく、またどんなものを食べていたかということでもないのです。私たちのしあわせはものの見方を分かち合い、他の人達といっしょに楽しむというところからきています。友達をたくさんつくり、先生や親からほめ言葉をいただくということがもっと大事なことです。学校へ行くことが楽しみで、毎日何からしら新しいワクワクすることを学びました。小さい頃に得た知識はどれだけ貴重であるかを身をもって感じとり学びました。先生方は親切で私達にとって天使のようにみえました。学校や家に戻ってから、いっしょにスポーツしたり、他のグループでできるゲームをして遊びました。夜になると月明かりのもとでダンスしたり、おじいさん、おばあさん、長老たちの話に胸をドキドキさせながら聞き入るのが楽しみでした。

これらの話は神秘的でスリルとサスペンスに満ちていました。時にはこれらの話しがあまりにも怖いので、小さな子ども達はお母さんに眠りにつくまで、その暖かい腕に抱いてもらえるようおねだりしたものです。そういう話を聞いた後はお化けやら、野生動物を怖がったものでした。愛・知識・信頼・友情が私と同年代のアフリカの子ども達がもっとも大切なものと考え、探していたものでした。もっとたくさんの友達をもつことは、それらの友達から、より多くの愛といたわりを得るということを意味しました。分かち合うということは日常の生活の中でも大切なことでした。オモチャが大切なわけではありませんでした。他の子ども達のためにオモチャを作ってあげる喜びが、私たちをもっと興奮させたことがらでした。私が友達とアルミニウム缶を使って車を作り出した時のことを思い起こせます。それはたくさんの創造力と技術が要求されました。これらの手作りのオモチャは、あなたがたが友達や家族から誕生日のプレゼントとして受け取るものと比べると、かなり見劣りがします。オモチャ屋さんで売っている既製品のオモチャは私たちが価値を味わう間だけ大切にされます。既製品のオモチャは思い出の残るようなものは何ひとつ私達には与えません。なぜなら、それらのオモチャには感情が注ぎ込まれていないからです。私の弟がどれだけ親切だったか生涯忘れないでしょう。一度私の誕生日にアルミニウムのおおいのある木製のプロジェクター (映写機)をプレゼントしてくれました。弟は私がたいへん映画好きなことを知っていたからです。その頃、私は自分で映画をつくることを夢見ていました。弟は私に知られないように、その作業を完成させるのに何週間も費やしました。映画劇場のゴミ捨て場から古くなって捨てられたフィルムを拾い集め、ノリでくっつけてつなぎました。6か月かかって貯めた金で必要なレンズと古くて小さな自動車のライト・ボールを買い求めました。細心の注意を払ってフィルムを木の箱に納め、金属製のバイブレーターからフィルムをゆっくり引き出して、弟は画面を動かしたのでした。それが私の最初のホーム・ムービーでした。たとえどんなVCRをもってこられても、あの時ほどの幸せを味わうことなどないでしょう。アフリカ大陸以外の土地に住む子ども達は私達のアフリカ大陸を間違って認識しています。アフリカの子ども達は貧しいながら、ほんの少しの物を使ってでも楽しむすべを心得ています。

アフリカの人達は日本、そして他の国々からの援助を必要としています。体を養っていくのに必要な食べ物をより多く育てるため、子ども達を教育するための学校建設、病人がでた時に看病する病院、長距離の旅行ができる自動車や飛行機、ニュースを聞くためのラジオや他の人達とのコミュニケーションをはかるための電話などへの援助を必要としています。これらの多くは今日のアフリカで欠如しています。こうした欠如が彼らの日常生活を少し困難なものにしています。アイス・クリーム、チョコレート、キャンディがあったらデザートメニューとしては、たいしたごちそうになることでしょう。こうしたものは日常生活でたいへん役にたつものです。けれども、これらは必ずしも人の幸せに結びついてはいないのです。持てるものを他の人達に分かち合うことが喜びを作り出していくことなのです。私は多くの日本の子ども達にアフリカはただ悲しい所ではないということを理解してもらいたいと思います。アフリカの人達が送っている日常の生活の状況は確かに楽ではありません。しかし彼らはつつましやかな生活を楽しむすべを知っています。日本ではたいがい、テレビや新聞はアフリカの悲しい話だけを伝え、アフリカの人達が生活の中で、どんなことが重要であると考えているかを、ほとんど伝えていません。愛・信頼・家族・友情がアフリカでの幸せの源なのです。次回ではアフリカの幾多の困難にチャレンジしている姿だけでなくアフリカの持つ美しさについてお話する予定です。アフリカの子ども達はお金には欠乏していますが、心と魂は豊かなのです。

Story-1 不便な生活の中にも心は豊かなアフリカの子どもたち

Images of Africa
《不便な生活の中にも心は豊かなアフリカの子どもたち》
東京に住む10歳の日本人の男の子が、ある日私に「僕はアフリカに生まれなかってラッキーだったと思う」と言いました。日本にいると良い生活が送れるからです。彼の両親が彼の面倒を見てくれて、お誕生日には贈り物を買い、それに日本にはいま十分な食べ物があります。彼はアフリカの52か国に5億人の人たちが住んでいることを知っています。そのうちの80%の人々が電気や水道のない農村地域に住んでいることを習いました。そういう地域には病院もまれで、バスはほとんど通っていなくて、地下鉄などもありません。たくさんの子どもたちが通学のために遠い道のりをてくてく歩きます。アフリカに住む人達は、それぞれ少なくとも二つ以上の言葉をしゃべることができます。テレビを通して、この日本人の少年は、たくさんのアフリカの子ども達がお腹を空かし、病気になり、そして痩せ衰えていることを知りました。彼はまた、テレビでアフリカの子ども達は貧しくいい身なりでないことを知りました。彼らの学校に着てゆく服装は着ふるされてよれよれです。私はアフリカの状況をたいへん心配しているこの日本の少年の言うことに耳を傾けて聞きました。テレビを通してどれだけ強くアフリカのイメージが彼に植えつけられていったかを理解したのです。彼がアフリカについて述べたことは、私が子ども時代を過ごしてアフリカとはずいぶん違っています。この10歳の日本の少年は、悲しいかな、間違ってアフリカを貧困と悲しみの大陸ととらえていたのです。けれども彼の、他の国に住む子ども達への温かい思いやりに、私の心は動かされました。彼はアフリカのことをもっと知りたがっていました。私はほんとうにアフリカについて説明してあげるのは私の義務だと思いました。それからは私はたくさんの日本の子ども達に学校やら、校庭やらで会うことを楽しんでいます。招かれて日本の子ども達の前でお話をし、子ども達の質問に答えることはうれしいことです。
私の故郷ザイールでは私が子どもの頃、電気や水道がありませんでした。しゃれたオモチャなどもありませんでした。マンガの本などまれでした。よく私は、アフリカの友達と新聞紙をくしゃくしゃに丸めて紐で結わえたボールを作ってサッカーをして遊びました。チョコレートやアイスクリーム、そしてヨーグルトはあまりにも高価で多くの家庭では高嶺の花で手が届きませんでした。多くの子ども達は白と青の通学服のユニフォームを一着だけ持っており、それを毎日着ていました。そんな生活だったけど、10歳の頃を思い起こすとアフリカで幸せに暮らしていたのでした。生活は必ずしも楽ではなかったけれど、それでも子ども達は遊び、笑い、自然を発見する時間を見つけだしました。私と同時代の子ども達が楽しめたのは、その時、持っていた物のためでなく、またどんなものを食べていたかということでもないのです。私たちのしあわせはものの見方を分かち合い、他の人達といっしょに楽しむというところからきています。友達をたくさんつくり、先生や親からほめ言葉をいただくということがもっと大事なことです。学校へ行くことが楽しみで、毎日何からしら新しいワクワクすることを学びました。小さい頃に得た知識はどれだけ貴重であるかを身をもって感じとり学びました。先生方は親切で私達にとって天使のようにみえました。学校や家に戻ってから、いっしょにスポーツしたり、他のグループでできるゲームをして遊びました。夜になると月明かりのもとでダンスしたり、おじいさん、おばあさん、長老たちの話に胸をドキドキさせながら聞き入るのが楽しみでした。
これらの話は神秘的でスリルとサスペンスに満ちていました。時にはこれらの話しがあまりにも怖いので、小さな子ども達はお母さんに眠りにつくまで、その暖かい腕に抱いてもらえるようおねだりしたものです。そういう話を聞いた後はお化けやら、野生動物を怖がったものでした。愛・知識・信頼・友情が私と同年代のアフリカの子ども達がもっとも大切なものと考え、探していたものでした。もっとたくさんの友達をもつことは、それらの友達から、より多くの愛といたわりを得るということを意味しました。分かち合うということは日常の生活の中でも大切なことでした。オモチャが大切なわけではありませんでした。他の子ども達のためにオモチャを作ってあげる喜びが、私たちをもっと興奮させたことがらでした。私が友達とアルミニウム缶を使って車を作り出した時のことを思い起こせます。それはたくさんの創造力と技術が要求されました。これらの手作りのオモチャは、あなたがたが友達や家族から誕生日のプレゼントとして受け取るものと比べると、かなり見劣りがします。オモチャ屋さんで売っている既製品のオモチャは私たちが価値を味わう間だけ大切にされます。既製品のオモチャは思い出の残るようなものは何ひとつ私達には与えません。なぜなら、それらのオモチャには感情が注ぎ込まれていないからです。私の弟がどれだけ親切だったか生涯忘れないでしょう。一度私の誕生日にアルミニウムのおおいのある木製のプロジェクター(映写機)をプレゼントしてくれました。弟は私がたいへん映画好きなことを知っていたからです。その頃、私は自分で映画をつくることを夢見ていました。弟は私に知られないように、その作業を完成させるのに何週間も費やしました。映画劇場のゴミ捨て場から古くなって捨てられたフィルムを拾い集め、ノリでくっつけてつなぎました。6か月かかって貯めた金で必要なレンズと古くて小さな自動車のライト・ボールを買い求めました。細心の注意を払ってフィルムを木の箱に納め、金属製のバイブレーターからフィルムをゆっくり引き出して、弟は画面を動かしたのでした。それが私の最初のホーム・ムービーでした。たとえどんなVCRをもってこられても、あの時ほどの幸せを味わうことなどないでしょう。アフリカ大陸以外の土地に住む子ども達は私達のアフリカ大陸を間違って認識しています。アフリカの子ども達は貧しいながら、ほんの少しの物を使ってでも楽しむすべを心得ています。
アフリカの人達は日本、そして他の国々からの援助を必要としています。体を養っていくのに必要な食べ物をより多く育てるため、子ども達を教育するための学校建設、病人がでた時に看病する病院、長距離の旅行ができる自動車や飛行機、ニュースを聞くためのラジオや他の人達とのコミュニケーションをはかるための電話などへの援助を必要としています。これらの多くは今日のアフリカで欠如しています。こうした欠如が彼らの日常生活を少し困難なものにしています。アイス・クリーム、チョコレート、キャンディがあったらデザートメニューとしては、たいしたごちそうになることでしょう。こうしたものは日常生活でたいへん役にたつものです。けれども、これらは必ずしも人の幸せに結びついてはいないのです。持てるものを他の人達に分かち合うことが喜びを作り出していくことなのです。私は多くの日本の子ども達にアフリカはただ悲しい所ではないということを理解してもらいたいと思います。アフリカの人達が送っている日常の生活の状況は確かに楽ではありません。しかし彼らはつつましやかな生活を楽しむすべを知っています。日本ではたいがい、テレビや新聞はアフリカの悲しい話だけを伝え、アフリカの人達が生活の中で、どんなことが重要であると考えているかを、ほとんど伝えていません。愛・信頼・家族・友情がアフリカでの幸せの源なのです。次回ではアフリカの幾多の困難にチャレンジしている姿だけでなくアフリカの持つ美しさについてお話する予定です。アフリカの子ども達はお金には欠乏していますが、心と魂は豊かなのです。