2007年6月19日火曜日

Do faith and superstition influence preparation, study for school (university) tests ?--試験に備えて

Story 8

 

EXAMINATION CHALLENGE   (PART 1)

Do faith and superstition influence preparation, study for school (university) tests ?--

試験に備えて

  ——懸命な勉強も信仰と迷信的習慣に支えられながら——

《いずこも同じ 試験にソワソワ》

六月はアフリカの子供たちにとって試験でソワソワする月です。今、アフリカでは何百人という高校生たちが大学で勉強できるようにと、その時将来がかかっている全国レベルでのテストに向けて勉強に身をいれています。この時期は生徒だけではなく、受験生をもつ家族にとっても落ち着かない日が過ぎていきます。親は子どもが勉強に精をだしてくれたら将来の生活が楽になるだろうと強く期待しています。大学を卒業することは、貧困と悲惨さから足を洗える近道なのです。けれども、こんな機会はほんのひとにぎりの人にしかやってきません。親たちは親族に援助を頼んだりして、子どもの教育に、できるかぎりの金を注ぎ込みます。家庭が貧しい場合は、特にその長男に大きな期待がかかります。大学を卒業すると、家族ばかりか村人たちも恩恵が受けられると思われているだけに、大学入試の失敗は本人だけでなくそうした人々を裏切ることになります。

アフリカの近代都市では大学を卒業した人たちは同郷の者同士で同窓会を組織、運営しています。その絆は固く、その会費は故郷に送られ、都市で勉強したかった人たちや、仕事につけなかった人たちの生活改善のために使われます。安全な水の供給設備の建設や村の教師の月給の支払い、葬儀代の援助、道路の修理、医薬品の購入、健康管理センターの建設などにもその金は使われます。だから大学で勉強することは本人だけでなく、大きな目で見ると地域社会まで恩恵を受けることになります。  

《日本とは違った入試制度》

アフリカの高校卒業試験と大学入試では日本の方法とは違っています。日本では大学別の入試で、受験生はそれぞれ違ったテストを受けています。アフリカのフランス語圏の教育制度は、全国一律に、一週間におよぶ「バカロレア」というテストが行われます。この試験では受験生たちが将来専攻したい学科とはあまり関係のない一般的なものです。社会科学を将来勉強したい人には技術系や理数系の問題が少なめに、理数系や理工系に進むものには多めに出題されています。

しかし将来の専攻に関係なく、すべての科目をカバーする幅広い知識を受験生には求められています。全国一斉の試験で、すべての受験生に公平に機会が与えられ、その中の優秀な生徒が大学で勉強する道が開かれています。いったん大学試験に合格すると、どの大学・学部・学科にも入学できる資格が与えられるのが日本との大きな違いです。

また大学に合格すると、奨学金でヨーロッパやアメリカにも留学できる制度の利用に応募できます。しかし実際問題としては全国一斉の試験で合格したからといって、どの大学にも入学を認められ、留学可能かというとそういうわけではありません。試験の総合点、年齢、大学の規模などによって制限されています。入試に合格しても入学できないのは一見不公平のようですが、十分に大学が建設されない限り解決策はありません。アフリカには数えるほどしか大学がなく、それに対して入学希望者が多すぎるのです。私の祖国ザイールの人口は三千万人ほどですが、三つの国立大学しかありません。毎年約十万人の高校卒業生が一万人分ほど大学の席と海外留学を目指すことになりますが、九〇%の者が大学に行きたくても行けないわけです。大学に行けなかった人たちは低い給料で仕事につかざるを得ず、働き始めるしか残された道はないのです。もっと勉強してよりよい生活をしたいという夢はたたれます。

そんなわけで、入試やその結果が判明するまでの間、そして合格しても大学が受け入れの可否を知らせてくれるまでの間どれだけ神経がすり減らされることか。入試で高得点をとった高校卒業したての若者が優先的に大学入学を認められます。これは若いほど、会社に入社した時に給料が低くていいし、退職するまでより長く、会社や政府機関で働くことができるからです。職歴がなく会社勤めが初めての若い従業員は、会社にとっては初任給が低いので魅力的です。また、若く未婚の者のほうが夫や妻としての責任や両親や家族を支えるという実際的な期待によって学業が損ねられることがなく、家族と遠くはなれても、ホームシックにならず学業に打ち込みやすく、感情的にダメになることが少ないと考えられます。

大学は村や町から遠く離れているのが普通です。学生のほとんどは一年に一回、それも夏休みに家族に会えるくらいです。大学では地域別、県別に、入学定員も割り当てられています。だから入試に合格しても、その受験生の出身地から一定数の入学者を満たしていると、その受験生は入学できないことも起こります。

日本ではどのレベルの大学を卒業したかによって、その人の将来の職業や社会生活まで左右されていると言われていますね。有名大学を卒業した人は、そうでない大学をでた人より、就職に際して優先されていると言われていますね。アフリカの大部分の国では大学はほとんど格差がなく、卒業証書の価値は変わりません。どの大学に入るかというより、大学そのものの入学許可が重要なのです。

《勉強は貧しくても》

全国規模での試験は本当に大切なので、生徒たちは授業が始まると受験勉強です。九か月にわたって本を読んだりもっと情報を集めたり、詳細にノートをとったりで、たくさん時間を費やします。この全国一斉の受験は、高校最後に習ったことだけでなく、小・中・高を通して習ったこと全部について出題されます。日本のようにアフリカには塾がありませんから、子どもたちはこの特別な勉強の仕方を何か考えつかないといけません。裕福な家庭の子どもたちは家庭教師を雇えますが、そうでない子どもは夜間勉強コースを自分たちで組織します。ある教科に優れた子が、そうでない子を教え、不得意の教科はほかの子に教わるというやり方です。多くの家庭には電気がひかれていませんから夜遅くまで教室で勉強します。学校に電気のない場合にはこつこつと貯めたお小遣いでロウソクや石油ランプを買って勉強を続けます。アフリカでは石油やガスは産出されますが、ヨーロッパや日本なみに高価です。月収三千円程度の平均所得が多いアフリカの家庭にとっては石油やガスは高嶺の花です。家庭が貧しくて、石油やガスを買えない子どもは襲ってくる蚊や、寒さや、強い風や雨を我慢して街灯の明かりで、夜は友だちと勉強を続けます。ただ、そういう状態で勉強を続けると視力が確実に落ちてきます。毎日の食事でビタミン Aを十分摂っていない子どもには失明の危険すらあります。栄養不足の食生活を成長期に長時間続けていると、十分に成長できず、その子の一生に影響を及ぼす健康問題が起こります。

《受験と迷信的習慣》

このように勉強する環境に恵まれなくてもアフリカの子どもたちは我慢して勉強に励んでいます。不便を忍び、懸命に勉強しながらアフリカのたくさんの子どもたちは、目に見えぬ世界や、ご先祖さまに力添えをお願いしています。迷信として考えられることをいろいろとやってみたりします。国にはそれぞれ、よそ者には迷信として簡単に片付けられてしまう目に見えぬ世界との関係や儀式があります。例えば、西洋の人たちにとって、日本の受験生が受験前に神社にお参りする姿は興味深く映ります。ある本によると、日本では受験生とその親たちが神社仏閣にお参りして入試に合格できますようにとお祈りします。東京の亀戸神社では三〇円出しておみくじを買い、祈りをこめて境内にある木の枝に結びつけたり、千円のお守りを買って家に持ち帰ったりします。また三千円出してお払いをしてもらい、神主さんに自分の名前を読みあげてもらい、拍手を打ち、神様に「試験に合格しますようにお力をお貸しください」とお願いするのです。一万円献上すると、神主さんは受験生に代わって一年間毎日お祈りをしてくれます。受験生は神社仏閣で幸福をもたらしてくれるというおみやげを買います。

その傾向は動物園のような一見関係のないような場所でも同じです。四国高松の栗林公園動物園にいるリッキーというゴリラは、試験に合格したたくさんの受験生からの感謝の手紙や、贈りものの果物や現金をたくさん受け取ります。受験生たちによるとリッキーが自分の糞を檻の鉄柵めがけて投げつける習慣が幸運を呼ぶとのことです。受験生達にとってこの糞(ふん→うん)は「運」につながり、幸運のしるしとしてとらえられているようです。この動物園ではリッキーが糞を投げつけている写真を入れたお守りを合格祈願のお礼として希望者に頒布してきます。

鎌倉の銭洗弁天では、巳(み・蛇)の日のお祭りに受験生や一般の参拝者が小銭にビニール袋で保護した紙幣を洗い、それを早く使い、弁天さんの守り神である「福の神」にそのお金を二倍にして返してくれるようにお祈りするのです。

By チロンボ・ンゴイ Jr.

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