Images of Africa
《不便な生活の中にも心は豊かなアフリカの子どもたち》
東京に住む10歳の日本人の男の子が、ある日私に「僕はアフリカに生まれなかってラッキーだったと思う」と言いました。日本にいると良い生活が送れるからです。彼の両親が彼の面倒を見てくれて、お誕生日には贈り物を買い、それに日本にはいま十分な食べ物があります。彼はアフリカの52か国に5億人の人たちが住んでいることを知っています。そのうちの80%の人々が電気や水道のない農村地域に住んでいることを習いました。そういう地域には病院もまれで、バスはほとんど通っていなくて、地下鉄などもありません。たくさんの子どもたちが通学のために遠い道のりをてくてく歩きます。アフリカに住む人達は、それぞれ少なくとも二つ以上の言葉をしゃべることができます。テレビを通して、この日本人の少年は、たくさんのアフリカの子ども達がお腹を空かし、病気になり、そして痩せ衰えていることを知りました。彼はまた、テレビでアフリカの子ども達は貧しくいい身なりでないことを知りました。彼らの学校に着てゆく服装は着ふるされてよれよれです。私はアフリカの状況をたいへん心配しているこの日本の少年の言うことに耳を傾けて聞きました。テレビを通してどれだけ強くアフリカのイメージが彼に植えつけられていったかを理解したのです。彼がアフリカについて述べたことは、私が子ども時代を過ごしてアフリカとはずいぶん違っています。この10歳の日本の少年は、悲しいかな、間違ってアフリカを貧困と悲しみの大陸ととらえていたのです。けれども彼の、他の国に住む子ども達への温かい思いやりに、私の心は動かされました。彼はアフリカのことをもっと知りたがっていました。私はほんとうにアフリカについて説明してあげるのは私の義務だと思いました。それからは私はたくさんの日本の子ども達に学校やら、校庭やらで会うことを楽しんでいます。招かれて日本の子ども達の前でお話をし、子ども達の質問に答えることはうれしいことです。
私の故郷ザイールでは私が子どもの頃、電気や水道がありませんでした。しゃれたオモチャなどもありませんでした。マンガの本などまれでした。よく私は、アフリカの友達と新聞紙をくしゃくしゃに丸めて紐で結わえたボールを作ってサッカーをして遊びました。チョコレートやアイスクリーム、そしてヨーグルトはあまりにも高価で多くの家庭では高嶺の花で手が届きませんでした。多くの子ども達は白と青の通学服のユニフォームを一着だけ持っており、それを毎日着ていました。そんな生活だったけど、10歳の頃を思い起こすとアフリカで幸せに暮らしていたのでした。生活は必ずしも楽ではなかったけれど、それでも子ども達は遊び、笑い、自然を発見する時間を見つけだしました。私と同時代の子ども達が楽しめたのは、その時、持っていた物のためでなく、またどんなものを食べていたかということでもないのです。私たちのしあわせはものの見方を分かち合い、他の人達といっしょに楽しむというところからきています。友達をたくさんつくり、先生や親からほめ言葉をいただくということがもっと大事なことです。学校へ行くことが楽しみで、毎日何からしら新しいワクワクすることを学びました。小さい頃に得た知識はどれだけ貴重であるかを身をもって感じとり学びました。先生方は親切で私達にとって天使のようにみえました。学校や家に戻ってから、いっしょにスポーツしたり、他のグループでできるゲームをして遊びました。夜になると月明かりのもとでダンスしたり、おじいさん、おばあさん、長老たちの話に胸をドキドキさせながら聞き入るのが楽しみでした。
これらの話は神秘的でスリルとサスペンスに満ちていました。時にはこれらの話しがあまりにも怖いので、小さな子ども達はお母さんに眠りにつくまで、その暖かい腕に抱いてもらえるようおねだりしたものです。そういう話を聞いた後はお化けやら、野生動物を怖がったものでした。愛・知識・信頼・友情が私と同年代のアフリカの子ども達がもっとも大切なものと考え、探していたものでした。もっとたくさんの友達をもつことは、それらの友達から、より多くの愛といたわりを得るということを意味しました。分かち合うということは日常の生活の中でも大切なことでした。オモチャが大切なわけではありませんでした。他の子ども達のためにオモチャを作ってあげる喜びが、私たちをもっと興奮させたことがらでした。私が友達とアルミニウム缶を使って車を作り出した時のことを思い起こせます。それはたくさんの創造力と技術が要求されました。これらの手作りのオモチャは、あなたがたが友達や家族から誕生日のプレゼントとして受け取るものと比べると、かなり見劣りがします。オモチャ屋さんで売っている既製品のオモチャは私たちが価値を味わう間だけ大切にされます。既製品のオモチャは思い出の残るようなものは何ひとつ私達には与えません。なぜなら、それらのオモチャには感情が注ぎ込まれていないからです。私の弟がどれだけ親切だったか生涯忘れないでしょう。一度私の誕生日にアルミニウムのおおいのある木製のプロジェクター(映写機)をプレゼントしてくれました。弟は私がたいへん映画好きなことを知っていたからです。その頃、私は自分で映画をつくることを夢見ていました。弟は私に知られないように、その作業を完成させるのに何週間も費やしました。映画劇場のゴミ捨て場から古くなって捨てられたフィルムを拾い集め、ノリでくっつけてつなぎました。6か月かかって貯めた金で必要なレンズと古くて小さな自動車のライト・ボールを買い求めました。細心の注意を払ってフィルムを木の箱に納め、金属製のバイブレーターからフィルムをゆっくり引き出して、弟は画面を動かしたのでした。それが私の最初のホーム・ムービーでした。たとえどんなVCRをもってこられても、あの時ほどの幸せを味わうことなどないでしょう。アフリカ大陸以外の土地に住む子ども達は私達のアフリカ大陸を間違って認識しています。アフリカの子ども達は貧しいながら、ほんの少しの物を使ってでも楽しむすべを心得ています。
アフリカの人達は日本、そして他の国々からの援助を必要としています。体を養っていくのに必要な食べ物をより多く育てるため、子ども達を教育するための学校建設、病人がでた時に看病する病院、長距離の旅行ができる自動車や飛行機、ニュースを聞くためのラジオや他の人達とのコミュニケーションをはかるための電話などへの援助を必要としています。これらの多くは今日のアフリカで欠如しています。こうした欠如が彼らの日常生活を少し困難なものにしています。アイス・クリーム、チョコレート、キャンディがあったらデザートメニューとしては、たいしたごちそうになることでしょう。こうしたものは日常生活でたいへん役にたつものです。けれども、これらは必ずしも人の幸せに結びついてはいないのです。持てるものを他の人達に分かち合うことが喜びを作り出していくことなのです。私は多くの日本の子ども達にアフリカはただ悲しい所ではないということを理解してもらいたいと思います。アフリカの人達が送っている日常の生活の状況は確かに楽ではありません。しかし彼らはつつましやかな生活を楽しむすべを知っています。日本ではたいがい、テレビや新聞はアフリカの悲しい話だけを伝え、アフリカの人達が生活の中で、どんなことが重要であると考えているかを、ほとんど伝えていません。愛・信頼・家族・友情がアフリカでの幸せの源なのです。次回ではアフリカの幾多の困難にチャレンジしている姿だけでなくアフリカの持つ美しさについてお話する予定です。アフリカの子ども達はお金には欠乏していますが、心と魂は豊かなのです。
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