Story 9
EXAMINATION CHALLENGE (PART 2)
Do faith and superstition influence preparation, study for school (university) tests ?--試験に備えて( 2)
——懸命な勉強も信仰と迷信的習慣に支えられながら——
《祖母も後押し》
祖母は私が地球上でいちばん早く神様からの祝福を受けられるグループに入れるように気づかって早起きさせました。夜明けとともに神様や先祖が祝福を与え始めると信じられています。祖母は毎朝、きまったように私を早く起し(私には早すぎました)、近所の誰よりも早く、正面玄関を抜けて庭に出て行きました。祖母は目に見えぬ神様と先祖に私の学業の成就と、家族が不幸にならないようお願いしたのでした。見えない世界に住む神様たちが退屈しないよう、スピーチの内容は違っていましたが、それにこめられたメッセージは毎回同じではっきり唱えられました。祖母は私のためだけでなく、私の友だちや全国の学生のためにもお祈りしました。もちろん孫の私がいちばん良い得点がとれるように祈ったことはいうまでもありません。神様や先祖は自分勝手な、また、他人に危害を及ぼすような祈願にはとりあってくれません。だから、人は他人に思いやりをもって接し、持っている才能を喜んで他の人のためにも使い、食事を喜んで伴にし、お祈りする際は他の人にもいいことがありますようにとお願いするのです。
この毎朝行われる早起きのお祈りのあと、私は再びベットにもぐり込み一時間ほど寝ました。私はこの毎朝の祈りに効きめがあるとは信じていませんが、敬愛する祖母の気持ちを傷つけたくなかったのです。祖母は、そのほか私に特別なローションを作ってくれました。それは精霊「ジョニー」が住んでいると信じられている森の奥深く、遠く離れた所から採ってきた土と珍しい粘土から作られた粉をピーナッツの油でこねたものです。新しい週が始まる毎週月曜日になると、祖母は私の顔にローションを塗ってくれました。そのローションは、私の知性を開き、脳の働きを更に新しく活発にさせ、記憶の中に大切にとどめられている知識を順序よくためておき、学業成就に必要な知識を新しくインプットできるように神様からのメッセージを受け取りやすくする働きがあると信じられていました。祖母は、読み書きができませんが、とても知恵があり、三十年や四十年前の出来事でもはっきりと思い出せる驚くべき記憶力をもっていたので有名でした。
国中のいたる所で祖父母や親戚が有名な全国規模のテストを受ける家族のために、地域によっていろいろ違っていますが、そこの伝統習慣にのっとって同じような祈りや、まじないごとをしていたと思います。これは私にとって時間の無駄であり、ミッション系の学校に通っていた私には「異教」の儀式はカソリックの教えとは相容れないものでした。けれども、祖母が、孫の私の全国規模のテストの成功のためにすごく役に立っているという思いを抱き続けて、幸せであってくれたほうが私には大切であったのです。私も懸命に勉強して神の意にかなうことが良い結果になるのは十分に承知していました。
祖母もカソリックを信仰していましたが、多くのアフリカのお年寄りと同様に土着の伝統宗教も信じていました。祖母には同時に二つの宗教の存在が可能だったのです。全能の神(エフィレ・ムングアキャイア:神の中の神)は広い心の持ち主で、意義のあるさまざまなものに形を変えては、人間の前にその姿をかいま見せてくれるものだというのが、祖母の口ぐせでした。
《受験と宗教》
神を敬い奉り、褒め称えるやり方が、どんな形であろうと、それが創造的であるならば、神はありのままを受け入れ、それに沿うよう、人間がいろいろなことができるよう人間を造り出しました。私たちは全て神の子です。この教えは私がミッション系の学校で習ったことですが、その時、カソリック教だけが神へつながっていると教えられました。おかげで、私もものの見方はその教えを強く受けていますが、今となってみれば、私は祖母が言われたことは正しかったなと思います。
平和と協調と幸せを願って、私たちが考え行動をとるならば、それはどんな形であろうと神へつながるのだということを。私は何をするにしても、自分の行動が平和と協調のためになっているのだろうかと問かけています。これが私の行動の基準になっています。
皆さんと同様、この平和と強調というゴールをなし遂げていくためには、私ができるベストは何なのか、という問いかけがいつも自分の中にあります。
一生懸命に勉強することのほかに、宗教の大切な教えが、生徒たちが受験勉強するうえで、大きな役割を果たします。キリスト教やイスラム教を信じる生徒たちは、一週間に何時間も教会やモスクや家でお祈りに使います。特にテスト期間中は敬虔に祈ります。
受験を控えている高校生は特に、五月の初めに行われるテストや五月から六月にかけて実施されるバカロレアのテストには敬虔にお祈りします。キリスト教信者の生徒たちはテストの数週間前に「ビジイル」と呼ばれる特別なお祈りをします。その晩は寝ずに起きていて全能の神を称え、歌い、お祈りして試験がうまくいきますよう、神の祝福がありますようお願いするのです。
私もカソリック信者として、たくさんの時間をお祈りに費やすべきなのですが、私と同級生の何人かは学業に忙しく、神様のために少ししか歌ったり、お祈りできない事情を神様は十分に承知してお許しくださるだろうと信じていました。
《必死の受験勉強》
私は学生のころ、生徒会の会長を務めていたので、生徒会活動や青年たちの集いを組織したり、スポーツ活動、そして政治的な運動に費やす時間のほうが、教科書を読んでいる時間より実際は多かったことを覚えています。学業よりもほかの活動に忙しかったので、テストの際は全て科目を網羅しきれないとおじけづいていました。そのときに「神は自らを助けたもう者だけを助けたまう」という言葉の重みを切実に身にしみたものでした。
今まで遊びほうけていて、十分に勉強していなかった者が、どうやってテストに受かるのでしょう?遅れを取り戻すために家で気を張りつめて集中して勉強することが必要でした。私は一日に三、四時間くらいしか睡眠をとらず、食事の間も本から目を離しませんでした。ランプの明かりで読書し、目を覚ますために足元に水を入れたバケツを置き、足を浸して懸命に勉強しました。その頃、私はコーヒーなど飲んだことはなかったし、薬局でカフェインの錠剤を買う余裕などなかったのです。意識を覚ましておくため、首には濡らしたタオルをあてました。それでも懸命に勉強したわりには効果ははかばかしくありませんでした。七千頁ほど読むものがあり、それを読んで十分理解して記憶しないといけませんでした。懸命に勉強しても、覚えるものがあまりに多過ぎると読んでも半分も覚えられず、頭の中がこんがらがってきました。アフリカ人は視力がよく、記憶力もいいのですが、この場合は、あまりにも詰め込むことが多く、全てをやりとげるには日数が足りませんでした。これは私だけでなく、ほかのたくさんの生徒も同様でした。やることがあまりに多過ぎて時間が足りないので、その解決策が見いだせないので私は絶望的になっていましたが、ひとつのアイディアが私を救ってくれました。
By チロンボ・ンゴイ Jr.